第8回フォーラム    2005年12月19日

◆ 苦しみを手放す「今ここ」の智恵 ◆
〜タイ森林寺の18年で見えてきたこと〜


はじめに
こんにちは。ただいまご紹介にあずかりましたプラ・ユキ・ナラテボーと申します。


「プラ」はタイ語で僧、「ユキ」は日本名の秀幸より、「ナラ」はパーリ語で男の人、「テボー」は同じく天使・神といった意味を表しています。
タイで出家してから十八年になります。もともとは上智大学哲学科で、神父でありながら東大で仏教哲学を修められたルーベン・アビト先生から学問としての哲学にとどまらない宗教性や宗教者が社会に関わることの大切さなどを学ばせていただきました。その後タイの大学院に留学し、「開発僧」と呼ばれていた僧侶たちのムーブメントに触れてとても興味を持ちました。ちょうど自分自身が貧困問題や難民問題などNGOの活動に携わりながらもやればやるほど疲れてしまったり人間関係の問題を感じたりしていた時期で、「開発僧」のお坊さんたちが、開発というものを仏教的な教えを基盤として人々の心の豊かさも育んでいくものとして捉え、やりがいを持って生き生きと活動に取り組んでいる姿に強く惹かれるものがありまして、「修行体験を通じて自己を刷新したい、そして本当に人々のためになることをやるのだったら、自分自身がもっと喜びを持って活動できるようになりたい」と・・・。
そんな感じで当初は三ヶ月くらいの修行体験のつもりでしたが、実際入門してみましたら非常に奥深く、気がついたら十八年が過ぎておりました。
今日の日本の状況を眺めてみますと、「心の時代」と称され、心の世界についての関心がかつてなく高まり、本屋さんに行けばそのような関係の本が山積みされています。同時に、老若男女、さまざまな精神的な病に罹患し、精神科や心療内科に通う人、果ては苦悩から自ら命を絶つといった人の数も飛躍的に増えてきているという現実もあります。
そのような中最近では、いろいろな心の悩みを持ち癒しを求められる方や瞑想体験をしてみたいという日本人の方が多くお寺に来られるようになり、自身の修行のかたわらサポートさせていただいているような状況でございます。
まだまだ手探りで精進中の身ではありますが、本日はタイの僧侶の日常生活や修行の様子、悩みを抱え私の寺を訪れる日本の若者たちとの取り組みなどをご紹介しながら、今日的状況において、二千五百年前にブッダが自らの苦悩とその克服の努力から編み出した「苦しみからの解放の方便」がいったいどの程度通用しうるのか?苦悩を抱えたり心を病んだりしている人々の解放や救いに私たち宗教者や癒し手がどのような役割を果たせるかなど、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。


第1章 スカトー寺体験の概要


(1)学問・瞑想・社会問題・・・日本と異なるタイ僧侶
まずタイのお寺についての簡単なご説明から話を始めたいと思います。
仏教で「行学二道」ということが言われますが、タイのお寺は、大きく分けると、「学」を中心とした学問系のお寺(ワット・パリヤット)、「瞑想行」を中心とした森林寺系のお寺(ワット・パー)、そしてそれ以外の村寺(ワット・バーン)の三つに分類することができます。
学問系のお寺は都市や町に位置し、一般に極彩色できらびやかな皆さんがタイに旅行されるとよく目にするお寺で、そこでの僧侶の修行は「律蔵」、「経蔵」、「論蔵」の三蔵を学んだり研究したりすることが中心です。一方、森林寺では、ブッダが二千五百年前に修行していたような森や洞窟など自然豊かな静かな環境で、僧侶たちはシンプルな生活を送りながら瞑想行を中心に修行をしています。


そして最後に村寺ですが、タイではお葬式など村の行事に僧侶は欠かせない存在ですから、どの村にも最低ひとつはあって、特に瞑想や学問を究めるという風ではないけれども、お年を召した僧侶が数名で守っているようなお寺です。
ただ、この分類は大雑把なもので、重なっているお寺もありますし、学問系のお寺でひととおり学んだ後に瞑想修行系の寺に移るというケースも多いです。
また、タイでは僧侶が多い時期と少ない時期があります。雨安吾といって七月から十月くらいの雨季の三ヶ月間のみ一時出家する人たちも多く、その時期どっと僧侶の数が増えたりもします。この雨安吾を過ごすのはどこのお寺でも構わないのですが、その三ヶ月間だけは籠もり修行となり、たとえ必要な用事があったとしても外泊は最長でも七日間に制限されています。タイの場合、宗派等もなく、この雨安吾期間中以外は僧侶の寺の移動も比較的自由です。私たち僧侶は出家者ですから、特定のお寺に所属しているということはなく、お寺は誰でもが宿泊することのできるいわば「たまり場」的な空間です。したがって、巡礼、あるいは頭陀修行と称してあちらこちらのお寺を渡り歩いたり、「今年の雨安吾の期間だけこのお寺に住もう」というような感じで一年ごとにお寺を変えることも自由です。それゆえ、寺によってはある時期僧侶が一人もいないということも起こりますが、そのような時期にたとえ村で死者が出たとしても、近くの村の僧侶が葬儀を挙げますので全く問題ありません。私の場合、最近は日本からの訪問者も多いので、森に囲まれた静かな修行環境で宿泊施設も調ったスカトー寺を中心として活動していますが、ここも僧侶のメンバーはその都度ガラガラ変わる感じで、またもし私がこのままずっと日本から戻らなくても何を言われるわけでもありません。このような点でタイのお寺はすごく自由なところがあります。
それからタイでは近年、寺で教典を学んだり、瞑想修行をしたり、仏教儀式を執り行ったりするだけでなく、仏教的な精神を基盤とし、村人の抱える貧困などの社会問題に積極的に関わり、具体的に解決を図っていこうとする「開発僧」と称される一群の僧侶たちのムーブメントも起こりました。自己紹介にもありましたように、実は私も出家前はタイの大学院で開発問題の研究をするかたわらNGO活動に携わる身でしたが、仏教の精神と開発問題が結びつけられ、いわゆる「心の開発」という次元まで含んだこのタイの僧侶たちのムーブメントの可能性に惹かれて出家するまでにいたってしまったという経緯があります。ちなみに私の師僧、ルアンポー・カムキアン師はタイの「開発僧」の第一人者ですが、瞑想のマスターとしても非常によく知られた方です。


(2)仏陀の教えに学び心身を整える朝夕の読経
では、お寺での生活の様子を撮った写真を持参いたしましたので、これを皆さんにご覧いただきながら、タイのお寺でのだいたいの一日の流れと修行のポイントをご説明したいと思います。

まずこちらが読経の様子の写真です。簡素なお堂で、僧侶は一段高くなった場所に座り、修行に来られている在家者と共にお経を読みます。
私の今いるお寺は瞑想修行を中心に行う森林寺(ワット・パー)系のお寺で、早朝と夕刻の二度の勤行があります。朝はだいたい三時ぐらいには目を覚まし、洗顔の後、瞑想などして心身を調え、勤行に臨むという感じで寺の一日が始まります。朝のお勤めが始まるのは午前四時。夕方は午後六時からです。朝夕ともに読経がだいたい三〜四十分。その後約一時間、師僧の説法を聞いたり、僧侶と寺に修行に来ている在家者が共に瞑想を行ったりいたします。
読経の時間は非常に大切な修行の時間です。まず、姿勢を正して座り、深く長い呼吸で経典を唱えます。体の姿勢や呼吸はかなり心と連動する部分がありますから、たとえ経典の意味がわからなくても、唱えているだけで心が落ち着いてくるという効果があります。経典はタイ語表記ゆえに言葉がわからないと一緒に唱えられませんが、それでも日本から来られた方は自主的に読経の場に加わられる方が大部分です。朝夕の勤行に参加することによって規則的な生活リズムができるのと、また、タイ語の発音の特徴もあってお経に音の高低やメロディがあり、ただ音に浸っているだけでもミュージック・セラピー的な効果もあるようです。ちなみにタイのお寺では、インドの古語で上座仏教の経典言語であるパーリ語での経典読誦が基本ですが、私のお寺には在家の修行者もたくさん修行に訪れるため、パーリ語−タイ語、パーリ語−タイ語と逐語訳しながら経典を唱えていきます。
もちろんお経の意味がわかれば、心を清浄化する上で更に大きな効果があります。たとえば、「色・受・想・行・識は無常なり、無我なり…」といったブッダが観察したありのままの真実の世界について描写した経典からついつい色・形にとらわれ見失ってしまいがちなリアリティについての認識を再確認できたり、身・口・意についての正しい用い方を示したフレーズによりその具体的な実践の道がクリアーになったり、また、「今、ここを油断せずに歩め」といったメッセージに自覚化を促され、励まされたりいたします。あるいは、「一切衆生が幸せであれ、苦しみ・災禍・厄災から免れますように…」といった祈りからは深い慈悲心が育まれていきます。
三面記事を扱った週刊誌や夕刊紙を毎日読み、美味しいお店や株価の動向、プロ野球の結果のようなことしか考えていなかったらそのような情報で思念は満たされましょうし、意識もおのずとそういう「モノの見方」のフェーズに共振していくこととなりましょう。そんな意味でも、より高いスピリチュアルな意識レベルの観点で得られた情報や描写にあふれた経典を毎日読誦することの功徳はとても大きいのではないかというのが実感です。
それからもうひとつ、読経時には気づく力、観察する力の促進がはかられます。苦悩の滅却という究極の目的を成就するにあたり、ブッダがもっとも重んじたのが実はこの能力です。心身に気づき、そこに生ずるあるがままの現象を観察していくブッダが編み出した「ヴィパッサナー」と称される瞑想法はまさにこの力の育成に焦点をおいているのですが、その読経時バージョンです。たとえば読経の最中、口では誤りなく経文を暗誦している一方で、少しでも油断をしていると、思念は知らず知らずのうちに過去へ、未来へ、あるいはあちらこちらへと絶えずさまよい、われを忘れて今ここに心あらずの状態に陥ります。読経しながらそのような心の動きにしっかりと気づき、自覚化し、心がさまよい始めたらただちに今ここに立ち戻るという作業を繰り返します。これによって鋭敏に気づく力や、明晰に心を観察する力を培うことができます。
以上のように、読経は、身(身体)・口(言葉)・意(こころ)の三業を調える格好の機会であると同時に、「定(じょう:心の落ち着き・安定)」、「念(ねん:気づき・自覚化)」、「慧(え:智慧・微細なリアリティの認識)」といった瞑想修行において最も重要な核となる精神的資質を培える大切な時間であるということができるでしょう。


(3)自覚的動作が特徴的な「手動瞑想」「歩行瞑想」
こちらは読経を終えた後、皆で瞑想をしている様子の写真です。

手を上げたり、胸の前に持ってきたりしている人の様子がご覧になられるかと思いますが、私の寺でメインに指導している瞑想法はちょっと特徴があり、座禅のようにじっと動かずにやるのではなく、目を開き、手をリズミカルに一定の動作で動かしながら行います。ポイントはそのひとつひとつの動作において自覚的にしっかりと気づきをともなわせていくことです。私の寺では、この「手動瞑想」と、一歩一歩に気づきながら歩く「歩行瞑想」が重視されています。

 

(4)感覚に目覚めながら歩き村人と祈りを共にする「托鉢」
次に托鉢の光景を撮った写真が何枚かありますのでご覧ください。


朝のお勤めをひととおり終えると、ちょうど東の空が赤く色づき始めます。軽く清掃をし、手相の線が見えるぐらいになると僧侶は近隣のいくつかの村に分かれて托鉢に出かけます。私がよく行く村は、寺から往復約5キロの小さな村です。まだアスファルト舗装されていない赤土の道を裸足で歩きます。土の道とはいえもちろん小石まじりですが、慣れると足の裏への刺激が非常に心地よくなり、足裏のツボ刺激健康法を毎朝実践しているようなそんな感覚です。村人たちの朝の光景の写真も何枚か混じっていますが、村の子供たちは、日が昇り始める六時前にはすでに起きて井戸水を汲みにいったり、魚とりにいったり、皆よく働きますね。


さて托鉢ですが、読経と同様、この約一時間強の托鉢時間が実に貴重な仏道修行のひとときになります。まず、今ここ、今ここの一歩一歩に注意深く気づきながら歩くことによって、托鉢時はそっくりそのまま「歩行瞑想」の時間になります。その際、ハートを開き、朝の新鮮な空気を吸いこみながら、五感を通して触れる様々な光景、音、香り、そして肌の触感などもあるがままに受容し、感じ取っていきます。一見すると、この「一歩一歩に注意深く気づきながら歩く」ということと、「感覚的刺激に対して心を開き受容する」ということが矛盾した行為のように感じられるかもしれません。それは「注意深く気づく」という作業が、一般に「集中(concentration)」と捉えられがちな傾向にあるからです。しかし、ここで言う「注意深く気づく」は、意識を足なり何なりの焦点を絞った一点に当て続けるということではなく、むしろ「覚醒(awareness)」化の営みであり、その覚醒した明晰な意識で今ここのあるがままの現象を感知していけるようになることがポイントです。
わかりやすく言えば、私の今歩いているこの足は、昨日の足でも、明日の足でもなく、また、どこか他のところにある足でも、イメージによって描かれた足でもありません。今ここにある現実の足です。この足に気づく、たとえ想念が過去へ、未来へ、あちらこちらへと漂い始め今ここに心あらずの状態になったとしても、この現実の今ここの足に意識を立ち戻らせることによって、その状態から醒めていくことができます。これによって、仏教で言う「如実知見」、すなわち、あるがままをあるがままに見ることが可能になっていきます。言葉で説明すればそういうことなのですが、こればかりはご自分で実践して体感覚で了解していただかないといまひとつピンとこないかも知れません。しかしいったんここでいう「覚醒」や「気づき」というものを体得し始めると、緊張したりボーっとしてしまったりせずに、リラックス状態で高度に集中したり、目覚めた状態ではまり込むことなく感覚・感情体験を味わったりということが可能になってきます。それによってあるがままの微細な意識の流れやその法則(ダルマ)を観る道が開かれていくわけです。

それから、托鉢の時間は祈りのときでもあります。


写真をご覧になっていただければだいたいわかると思いますが、村人は自分の家の軒先で僧侶がやって来るのを待っています。そして僧侶が家の前に来ると、用意しておいた炊き立てご飯やおかず類を僧侶の鉢に供養します。供養はすべて自由意志で、『今日は誰々さんの番』だとかもありませんし、また僧侶から「あれが欲しい、これが欲しい」などと村人に要求することも決してありません。軒先に村人がいなければそのまま素通りです。そして僧侶に捧げものをした後、村人は腰をかがめて跪いたり、地べたに座ったりした姿勢で、僧侶が心を込めて唱えるパーリ語による幸せや健康のお祈りの言葉を受けます。


この相手の幸せを祈るという行為ですが、これは受け取る側に恩恵があるだけでなく、祝福を与える側にも大きな功徳があります。というのも、その幸せを願う気持ちそしてその言葉は、一見、相手に向かうという形を取ってはいますが、よく観察すれば、同時にそれを願う人自身の心に生み出され、自身に対しても語りかけられるものであるからです。このように祈りというものは、常に自他に向けて心の滋養を与えていると言っていいでしょう。
ところで、私が托鉢によく行く村では比較的小さな子供たちがその家を代表して僧侶に捧げものをする家庭が多いのですが、いつも元気いっぱいでやんちゃな子供たちが、このときばかりはとても敬虔な様子でおこなう姿がなんとも愛らしいです。そして子供たちの合掌する姿はきれいだなといつも感心します。
しかし決して親が、「あんた行ってらっしゃい!」と強制する感じではなく、子供たち自ら自主的にするのですね。仏教には「喜捨」という言葉がありますが、托鉢時の子供たちの様子はまさに毎朝の僧侶への供養を喜び楽しんでいるという風です。もちろん私も早朝の新鮮な空気の中、村人たちのこのような美しい姿に接することのできる托鉢は本当に大好きな時間で、雨が降ろうがちょっと風邪をひこうが、年中無休で通っています。
ところで、よく観察していると、どの家庭でも当初はその家の大人、すなわちお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんが僧侶へ供物を捧げています。と、いつの間にか、最初それを遠巻きに見ていた子供がお母さんなどについて出てきて、お母さんが敬虔な姿で捧げものをしている様子をじっと眺め、そして一緒に合掌して祝福の言葉を受けるようになり、それから自然と「僕にもさせて!私にもさせて!」という感じになって、自ら僧侶の鉢にごはんやおかずを入れるようになっていくのですね。こうしてタイでは「信仰心」や「布施心」という仏教の基盤が子供の頃から育まれていくわけです。「親の背中を見て子供は育つ」というような言葉を聞いたことがありますが、なるほどこういうことかと思います。タイにおいては、この托鉢という毎朝のルーティーンワークが出家(僧侶)と在家(村人)が共に協力し合い、信仰環境の土壌を豊かに共創し、継承するという共同プロジェクトの核として大事な役割を果たしているのですね。
さて、このように僧侶にとっても村人にとっても非常に功徳の多い托鉢ですが、さらに、悩みを抱えてやって来られた日本人にとっても有効な癒しの舞台装置となっているということを付け加えておきたいと思います。


(5)托鉢体験から固まった心身のパターンがほぐれていったBさんの例
読経同様強制はしませんが、お寺に来られた日本人で興味のある方にはこの托鉢にも自由に参加していただいています。朝、托鉢する僧侶の後ろについて歩いていただくわけですが、日本ではほとんど見られなくなったその光景に心を動かされる方はとても多いです。


先日も、職場での人間関係が原因で強度のうつ状態に陥りやむなく三ヶ月間の休職を取られたという四十代の市役所勤務のBさんが私のお寺を頼って来られました。お寺に着いた当初は曇った表情で相当辛そうにしており、話を聞かせていただくと、どうやら職場の上司との関係がうまくいかず、寝ても覚めてもその上司に対する怒り、憎しみ、恨みが頭の中に終始渦巻いている状態だとのことでした。まずは思いのうちを存分に吐き出していただき、それから瞑想のやり方を教え、心を今ここに立ち戻す練習をしていただきました。
托鉢にも参加したいということでしたので、翌日から僧侶の後ろについて歩いていただくことにしました。その際、「できるだけ歩行瞑想の要領で、考え事になるべくとらわれずに、心を開き、今ここをよく感じながら歩くように。また、僧侶が祝福のお経を唱えている間、心の中で村人の健康や幸せを祈らせていただきましょう」とアドバイスしました。托鉢を終えお寺に戻った後、「どうでした?」と尋ねると、「いや〜、貧しい生活にありながらも自分たちの糧の一部を分け与える村人の姿に感動して涙が溢れました」とのこと。翌日も托鉢に同行し、戻ってから尋ねると、「いや〜今日は昇る朝日に感動して涙がこぼれちゃいました」。そしてその日の晩のセッションでは、「プラユキさん、本当に不思議なんですけど、あれほど私の頭をずっと占領し続けていた怒りや憎しみがなぜか全然沸いてこなくなっちゃったんですよ。おかしいなぁと思って、試しに対立していた上司のことを思い出してみるんですけど、怒りが沸いてくると思いきや、沸いてくるのは、『ここに来られたのも上司のお陰だな』なんていう感謝みたいな気持ちだったりして。いったいどうしちゃったんでしょうね…」。その後、予定していた一週間の滞在期間が終わる頃には、うつ症状も消失し、すっかり憑き物が落ちたような晴れやかな表情になって、明るい希望と日本へ戻ってからの具体的展望を持ってお寺を発っていかれました。
この方の場合、明らかに当初のうつ症状の原因は、心が今ここにあらずで「嫌な」上司の「嫌な」イメージを無自覚に心に抱き続け、それを頭の中で繰り返しリピートし、またそのイメージに自ら反応して、怒り、憎しみといった情動の虜になっていたところにありました。Bさんは、今ここに立ち戻る術を身につけ、今ここを生き始めることによってそのような消耗的な心のパターンから脱し得ましたが、タイ農村の朝の托鉢風景という美しい舞台が、彼の鈍っていた今ここの感覚を蘇らせ、意識を目覚めさせるにあたって大きな貢献を果たしてくれたことは確かでしょう。この彼のように固まっていた心身のパターンが托鉢への参加をきっかけにほぐれていったという日本人はとても多いです。

(6)朝一回の食事も修行のひととき
托鉢から戻ってくると食事です。近隣のいくつかの村へ托鉢に行っていた僧侶たちが寺に戻ると、村人から托鉢で得たご飯やおかずはいったん鉢から出され、まとめて並べられます。そして近隣の村人も寺にやってきて、それぞれ持参したおかず類が加えられます。それを、僧侶、寺に修行に来ている在家者ともにバイキング形式でそれぞれが食べる分だけ鉢や皿に取ります。なんだか毎日が一品持ち寄りパーティーみたいな感じですね。
ところで、「非時食戒」といって、『僧侶は午後の食事は取ってはならない』と戒律で定められています。したがって、寺での食事は一日一食か二食です。二食の場合は朝とお昼前十一時頃にもう一度とります。タイの場合、一般に学問寺系のお寺では一日二食のところが多く、より簡素な生活を旨とする修行中心の森林寺系のお寺では一日一食のところがほとんどです。私のいる寺は森林寺系ですから原則一日一食です。ただし私の寺には各地からお医者さん、看護婦さん、学校の先生、学生といった在家の方たちのグループも頻繁にやって来られますので、その際には小食に慣れていない方たちのために一日二食が供されます。
さて、僧侶、在家修行者、そして村人が一堂に集まり準備も整うと、食事になります。食事の様子を撮った写真がありますのでご覧ください。


ご覧いただければわかります通り、僧侶は通常お皿などの食器を使わず、托鉢に用いた鉢の中にご飯もおかずも一緒に入れて食べます。
修行者にとっては食事の時間ももちろん貴重な修行のときです。皆で簡単なお経を唱え、師僧のワンポイント説法を聞いた後、各自無言で食に向かいます。食事時のマナーについては、禅寺のような細かい食事作法はありませんが、たとえば、「チャプチャプと音をたてて食べないように」、「ズルズルと音をたてて飲まないように」など十数項目が戒律に定められています。そのうえで、明晰な気づきを持って食すということによって、食事時間がそっくりそのまま瞑想時間へと変容します。
ちなみにブッダはその教えの中で、外界に触れて生ずる感覚等、自らが心身に取り込み入れるものをすべて「食」と称し、それを四種類に分類し、それらを食す瞬間瞬間に明晰に気づき、観察することによって得られる功徳をそれぞれ説かれています。この一番粗大な物質的な食に関しては、「これに気づきをもって食することにより、五感に生ずる感覚的な欲愛の生滅ついての理解が深まる」と説いています。物質食は、私たちの生命を養っていくうえで欠かせないものでありながら、通常は無自覚な状態で取り入れられています。が、気づきと観察をともなって食してみると、確かにそこには、色、形、音、香り、味、そして接触感等、私たちの五感を刺激する強力な情報に満ち満ちていることに気づかされ、その刺激に自分がいかに翻弄されていたかを再認識させられます。
タイでは、僧侶は在家者と食事のテーブルを共にしないという原則があり、先日もお寺に来られた日本人からこの点を問われたのですが、これはやはり、在家者にとっての食事のコンセプトがテーブルを囲んだ者同士が良好なコミュニケーションや団欒を図るということにあるのに対し、僧侶のそれが上述したような修行という点に重きをおいているからなのでしょう。
さて、食事を終え、鉢や食器洗い等を済ますとだいたい午前九時です。この後は午後六時に始まる夕べの勤行(朝の勤行とほぼ同様、読経、説法、全体瞑想といったプログラム)まで全体で行うルーティーンワークは特別にありません。その間は各自で瞑想に取り組みます。もちろん、団体で修行に来られた方たちはグループごとに瞑想をしたり、あるいは僧侶による説法や個人指導といったものもときに応じて加わってきますが、いずれにせよ、一人ひとりが自主的に自らの心身と向き合い、それを見つめ、調えていくという作業が中心になります。

(7)死から学ぶタイの葬儀
ここまでお寺での生活のおおよその流れを説明してきましたが、あとお葬式や火葬の様子を撮った写真が数枚残っていますので、これをご覧になっていただきながらタイ農村の典型的なお葬式の様子も簡単にご説明しておきたいと思います。
まずこの写真。


村人が亡くなられてすぐ、その村人のご自宅にてご遺体の入れられた棺のそばで僧侶が枕経を読んでいるシーンです。よくご覧になればおわかりになるかと思いますが、僧侶はご遺体にでもなく、お仏壇に向けてでもなく、村人と対面し、村人に向けてお経を唱えています。タイではこのようにお経は死者に対してではなく、残された遺族や周りの者たちなど生者に向けられ、この死から何を学び、またこれからどう生きていったらよいか等を説くブッダのメッセージが伝えられます。
それからこちらの写真。


お経が唱え終えられ、自宅から火葬場までご遺体を運ぶ葬送の行列のシーンです。棺にくくりつけた絹糸を僧侶、在家、みなで引っ張って歩きます。
そして次の写真。


火葬場に着いて、故人のお清めをしながらみなで最後のお別れをしているシーン。お清めには生のココナッツミルクが振りかけられます。
そして最後に火葬場面の写真。


キャンプファイヤーのように組まれた薪の上に棺ごと乗せ、村人たちが取り囲む中で火が入れられます。お寺の森の一角にしつらえた草地が火葬場になっていますが、小学校からも近いので、子供たちや学校の先生も授業を一時中断して参集します。日本のように、最後のお別れをしたら、ガーッとボイラーの扉が閉じられ、「参集者の皆さんは別室で」ではなく、青空の下、肉親や村人にじっくりと見守られながらご遺体は燃え、やがて煙と灰になっていきます。この時間は僧侶にとっても村人にとっても、無常、無我を実地に学ぶとても貴重な機会になります。
これで写真を見ていただきながらのタイ仏教のおおよそのご説明を終わりにします。次にいよいよ本題に入っていきたいと思います。

第2章 今ここの私が苦しみをつくっている


(1)葬儀への参画から幼児期の父の死の体験を受容したMさんの例
ちょうど今、お葬式シーンの写真を皆さんにご覧いただきましたので、まずはこのお葬式に参加したことが苦悩からの開放の決定打となった方の話からしてみたいと思います。
彼女は当時22歳。お寺を訪れたときは都内の福祉系大学の卒業を間近に控える大学4年生でした。仮に名前をMさんとしておきます。Mさんは精神障害に陥っている妹や、母親とうまくいかない、年上の男性との関係もいつもギクシャクしてしまうというような人間関係の悩みを抱えていました。話を聞くと、『私は人から拒絶される』という感覚が常につきまとい、実際、親しくなってきた人にも結局は拒絶され、別れを余儀なくされるということを繰り返してきたと語り、よくよく聞いてみると、どうやらその根本的原因は彼女の父親の死と深く関わりあっているようでした。
Mさんの父親は真冬の寒い中、忘年会の帰りでお酒に酔い、家路に向かう途中、誤って川に転落し溺死されたとのことでした。遺体はすぐには見つからず、一週間後にやっと発見されましたが、遺体の損傷が激しいとしてMさんを含め女性たちは遺体との対面を許されず、お通夜にもMさんと妹の二人は列席させてもらえなかったそうです。このときMさんは、自分たちは邪魔者だとみなされ、母親をはじめ大人たちから拒絶を受けている感じがしたそうです。その後Mさんがやっと父親と対面できたのは、大きな鉄の扉の向こうで火葬され、白い骨となって出てきたときでした。骨拾いのときも彼女はその白い骨に得も知れぬ恐怖を感じながら、親戚の人に言われるまま、おそるおそる箸でその骨を骨壷に半ば投げ入れるように入れたそうです。その後も彼女は長い間、「お父さん、早く帰ってきてね」とのメッセージをノートや便箋に書き続けていたそうですが、それでも一向に戻ってきてくれない父親に、次第にMさんは「お父さんは私のことを嫌いになってしまって、私を避けているんだ…」と子供心に拒絶感に苛まれるようになったそうです。
幼い彼女にとって「死」という現実自体到底理解できるものではなく、さらに遺体との対面やお葬式といった故人の死を皆で確認し合い共有の事実としていく受容のプロセスにも参加が許されず、彼女の心の中ではお父さんとの離別はずっと未消化なものとして残ってしまっていたようでした。
Mさんがお寺を訪れた翌日、「昨晩こんな二つの夢を見ました」と報告してくれました。
「私は電話をかけたくて、電話ボックスに行きたいと思っていました。そこへちょうどプラユキさんがご家族と一緒に車に乗って通りすがりました。私は『すいません、電話ボックスまで連れて行ってくれませんか?』とプラユキさんに頼みました。しかし、『ごめん。今、車は満員で乗っけてあげられないよ』と断られ、プラユキさんの車はそのまま走り去っていってしまいました。」
そしてもうひとつの夢。
「私はお寺の台所にいました。そこにはおむすびが2,3個置いてありました。『食べたいな〜』って思ったけど、食べたらきっと叱られると思ってそのまま食べずに我慢していました。」
今でこそ、「夢」というものの重要性や可能性を認識し、癒しの方便として瞑想と同じぐらい重視するようになってきていますが、当時はまだ夢に関心を持ち始めたての頃だったので、Mさんの話してくれたその夢の大事なメッセージにすぐには気づけませんでした。
数日後、彼女と対話をするたびに自分の中に生じてくるなんとも言えない違和感を自覚しはじめました。それは、『もう、勝手にしろ!』と彼女を突っぱねたくなるような、そんな拒絶感のような気持ちでした。「いったいこの気持ちはどこから生じてくるのだろう?」と内省してみたところ、こちらの発する言葉が彼女に素直に受け入れてもらえないことによると気づきました。たとえば「これこれこうだよ」と彼女に指摘をしたり、注意を促す言葉に対しては、「プラユキさんは私を否定している」という風に受け取られてしまい、また、彼女を賞賛するような言葉に対しても、「プラユキさんは私を馬鹿にしている」という感じにしか応答してもらえないのでした。
そこでハッと彼女の初日の夢のことが思い出されました。そして、彼女が話してくれた父親の死に際しての体験談、年上の男性との関係をはじめとする人間関係のギクシャクといったものが、「拒絶感」というキーワードのもとつながりました。お父さんの死を自分の中でまだ消化し切れていないMさんは、父親イメージを私に投影し、そして父親=私から拒絶される役を自演してしまっていたわけです。
初日の夢は、そのことを実に見事に表していました。電話はコミュニケーションのシンボルです。Mさんはコミュニケーションを図りたがっていました。しかし一方で、その願いは叶わずに結局自分は拒絶されてしまうんだということを、「お願いしても車に乗せることを拒むプラユキ」という形でイメージ化していました。その後、私と話すときにもそのイメージを投影し続けていたのでしょう。私が彼女に与える言葉は、彼女のそのようなイメージのフィルターを通ってことごとく拒絶のメッセージとして受け止められ、そして知らずのうちに私も「Mさんを拒絶する人」の役を引き受け始めてしまっていたわけです。おそらく彼女はこれまでにもこのようなことを繰り返し、そのたびに拒絶感を味わい、他者と関係を結ぶことに挫折してきていたのでしょう。
このことに気づいた私は、その役から降り、違った関係性を築かなければと思いました。そして、「ただ聴かせてもらう」という風にしました。たとえどんなことを言っても、その言葉は「拒絶」として受け取られる可能性があります。しかし傾聴され受容され続けたら、「拒絶される役」は演じ続けられません。その後徐々に私たちの関係は変化してきました。彼女もだんだん「拒絶される人」ではなく、「受け容れられる人」になっていきました。そして次第に私の話も素直に聞いてくれるようになりました。
彼女は数日後、「また夢を見ました」と新たに見た二本立ての夢を報告してくれました。
「夢にまたプラユキさんが出てきました。そして私に焼スルメイカをくれました。私はそれを素直に食べました。実を言うと夢の中でものを食べられたのは今回が初めてなんです。これまでも食べ物が出てくる夢は何度も見たことがあったのですが、いつも何らかの理由で食べられずじまいだったのです。今回、夢の中で食べられてとても嬉しい感じです。」
「焼スルメイカってあなたにとってどういうもの?」
「そうですね〜、最初は噛むのに苦労するけど、でもあきらめないで噛み続けていれば、そのうちどんどん味わいが出てくるような…」
「どうやらやっと受け入れ、噛み砕き、味わえるようになってきたんだね。で、もうひとつの夢はどんなだった?」
「もうひとつの夢では、私、お相撲さんだったんです。これから土俵に上がってさあ勝負ってところでした。」
「なるほど。同じ土俵にのぼって、裸になって取り組むっていう感じだね。」
Mさんの夢には、拒絶される人から与えられる人に変化し、与えられたものを自らでしっかり噛み砕き、味わえるようになってきた様子、さらに、これまでのようにフィルターを通してではなく、お相撲さんのように裸=素の心で真正面に相手と取り組むというイメージが描かれていました。
さて、このMさんが寺を発つ日を数日後に控えたある日、村で一人のおじいさんが亡くなりました。枕経をあげにいくとき彼女を誘うと一緒についてきました。お経をひととおりあげ終え寺へ帰る支度をしていると彼女がやってきて言います。「もうちょっといてもいいですか?」どうやらそのお宅の姉妹と仲良くなったようでした。人見知りタイプの彼女が自分から積極的に言葉も通じない村人と交流を図りたいということを言い出したのにちょっと驚きましたが、きっとこれも何かよい縁だろうと思い、了承し、そのまま彼女を置いて寺に戻りました。
翌日、火葬のため村人のお宅を再び訪れると、Mさんの姿がありました。通常通り、我々僧侶はお経を読み、その後、村人と共に火葬場へと向かい火葬を行いました。Mさんの姿はそこにもありました。
その晩、寺で夕勤を終えた後、Mさんに「どうだった?」と聞いてみました。
「あれから翌日の火葬が終わるまで私はずっと村人と一緒に過ごしました。村人はずっと一緒に私のそばにいてくれて、シャワーを浴びさせ、服も貸してくれ、そして一緒に眠ってくれました。父のときも確かにまわりに肉親がいたはずなのに、こんな風に守られている気がしなかったなぁ…」
Mさんはひとりぼっちになって心細く感じていた九歳の頃の自分と今の自分をオーバーラップさせながら話し始めました。
「タイのお葬式の雰囲気は日本のと全く違った感じがしました。じめじめとしてなくて、一人ひとりが自由に泣いて、笑って、踊って、食べて…ってそんな感じでした。私も一緒にバナナの葉っぱを使ったお料理作りのお手伝いをしたり、みんなと一緒に踊ったりしました。そうしているうちに、『私も今、ここでお葬式に参加してるんだ!』って感じられて、大きな喜びがこみ上げてきました。」
その言葉からは父親のときにはできなかったお葬式へのコミットを追体験できた喜びが伝わってきました。Mさんはさらに続けます。
「遺体の入れられた棺が燃え、空に伸びていく煙を眺めていたとき、いつも料理に使うのと同じ薪でこうして今遺体を焼いている。怖がることはないんだって思えました。そして、私のお父さんもこういうふうに気持ちよく天に昇っていったんだって思えました。そして、もうここには帰ってはこない。もう私にまとわりついてはいないんだって思えたらなんだか安心しました。」
村のお葬式に葬儀屋さんの姿はもちろんなく、すべてが村人と僧侶による手作りです。確かにタイの葬儀に始めて加わった日本人は、どこかあっけらかんとして朗らかな感じさえ漂わせるその雰囲気にちょっと面食らいます。おそらく「死」というものの捉え方が日本と少し異なるのでしょう。タイでは日本のように、故人が亡くなった後、一周忌、三周忌…といった年忌法要はありません。また、僧侶の月参りのようなものも一切ありません。お葬式をあげ、故人を弔い終えたら終了です。あとは生前に涅槃を得て阿羅漢の境地に至った者を除き、その生前の行いに応じて次の生が用意されるとします。いわゆる「輪廻観」ですね。したがって、「死」は今生における終着地点であると同時に、来世に向けての新たなスタート地点でもあります。このように、「死」が輪廻のサイクルの中でのごくごく自然なプロセスとして共同認識されていることによって、上述したような雰囲気も醸し出されてくるのでしょう。Mさんにとってはタイのそのような自然体感覚のお葬式の雰囲気に触れ、村人に支えられて深いコミットができたことが、お父さんの死の受容・消化というプロセスを促進し、大きな癒しにつながっていったようです。
では、私たちはそもそもどのように苦しみに陥ってしまうのか?その辺の原理について少しお話ししておきたいと思います。


(2)無自覚な反応が苦しみの連鎖の始まり
仏教では「十二因縁」、または「十二縁起」と呼ばれる教えがあります。これはブッダが曇りのない明晰な意識でもって認識した苦しみの生起のプロセスについて説かれたものですが、私たちも瞑想などの訓練を行い、今ここの瞬間に生じてくる現象を繊細に観察できるようになってくると次第に観えてくる事実です。
十二因縁の始まりは「無明」、すなわち無自覚であることです。それに端を発し、瞬時に十二の連鎖反応が起こり、「老死や憂悲苦悩」に行き着くとされます。この十二の連鎖の中で特に重要なラインは七番目の「感受」から八番目の「渇愛」、そして九番目の「執着」へとつながるラインです。七番目の「感受」というのは、感覚器官に外界・内界の対象が接触することによって喚起される原初的な感覚印象で、微細な身体感覚として体験されます。そしてその微細な感受を受け止め、それをどう解釈し、どのように対応してゆくかに私たちの自由意志と選択の余地が生まれます。次の「渇愛」は「感受」に対して取捨選択的に働く衝動的な意思作用です。快の感受には欲望が、不快の感受には嫌悪が、中性の感受には忘却や退屈といった感情傾向が連鎖してゆきます。
この「渇愛」を自覚できれば、そこからどう対応するかを選択する可能性が開けます。しかし「渇愛」に無自覚であれば、次の「執着」へと瞬時に連鎖は進み、固定化し、さらに「私」という自己同一化が形成され、ついには「老死憂悲苦悩」と苦のサイクルの完結に至るわけです。簡単にまとめれば、当初はただただ瞬間、瞬間に生じ滅している現象があるのみですが、私たちがそれに無自覚に反応し、執着し、自己同一化したときに「苦」が生じてくるというわけです。したがって別の言葉を用いれば、苦しみとは今ここで私たちが無自覚的に創造しているもの、いわば自身の想像力の賜物であるとも言うことができるでしょう。


(3)感覚反応の自覚は教訓・希望の物語を紡ぐ
そのあたりをもう少し例を挙げ具体的にお話してみます。
たとえば、雨が降っている様子を見ているとしましょう。雨自体は視覚によって、あるいは触覚によってとらえられます。そこで私たちは雨という現象にどう対応するでしょうか。「うっとうしいなー」と無自覚的に反応し、さらに「いやだなー、ブツブツブツ…」と愚痴を言ってしまえば、そこに鬱々とした感情が生じ、苦しみが生じてくるでしょう。一方、「いいお湿りだなー」と捉えられれば、それは快の感覚として感じられるだけです。したがって、雨それ自体は苦しみではないし、苦しみの原因でもありません。無自覚な反応がそれをもたらします。
同様に、たとえば上司や親から細かい注意をされたとします。その瞬間に、「いちいち小さなことに口出ししてきてうるさいなー、ブツブツブツ…」と愚痴を言ってしまえば、おのずとイライラ、ムカムカといった感情が生じ、苦悩が生じてきます。ところが同じことを言われても、「自分に注目して細かいところまで見てくださっていたんだ。そのうえ実に的確な指摘を与えてくださってありがたい!」と受け取れば、その瞬間に喜びと感謝の世界がパーッと広がってくるでしょう。
これはまた、心の中に生じてくる過去の記憶に関しても全く同様です。たとえば何かに失敗したときの記憶が脳裏に浮かんでくる。そのとき無自覚に「あー、失敗しちゃった。私はなんてダメなんだ、ブツブツブツ…」。あるいは「あいつのせいで失敗したんだ、ブツブツブツ…」と無自覚に反応したときに、後悔の念や恨みつらみといった憂鬱な感情が生じてきます。ところが同じ失敗体験の記憶が生じてきたときに、「あのときにはあのようにしたことによって失敗したんだな、なるほどー」としっかり受け止められると、その時点で憂鬱な感情に向かう連鎖は断ち切られます。さらに考察を進め、「だったら今度はこれこれこうしてみよう!」といった前向きな展望を持てれば、その体験は苦しみになるどころか、今後に生かされる大切な教訓になっていきます。
このように、生じてきた記憶に対してどのように反応していくか、あるいは解釈していくかによって、百八十度異なった展開が生まれてきます。すなわち過去の記憶が生じてきたときにもし十分に自覚的であれば、私たちはいつでも「後悔物語」を選ばず、「教訓物語」を紡いでいくこともできるわけです。
さらにまた、これは未来の想像についても同様です。自らが紡ぎ出す、あるいは描きあげる未来についての物語やイメージによって、暗い不安感におそわれたり、明るい希望が生まれてきたりします。ですから自覚的でいれば、過去の失敗の記憶の浮上から教訓を得、そこから未来の希望の物語へとつなげていくことも可能になるわけです。
更に厳密にいうと、「失敗」という規定さえも実は私たちが概念的に意味づけたものであるにすぎません。私の好きな言葉に、「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければそれは成功になる」という松下幸之助さんの含蓄深い言葉がありますが、これなどはまさしく「失敗」ということの仮構性を看破した言葉と言えましょう。あるいはつい最近たまたま目にした言葉に、「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日」というものがありました。「いや〜深い!」としばし絶句でしたが、ここでも「今日」とか「明日」といったものがその捉える視点によって変わるものだということ、さらにはその意義づけによって私たちの生きる姿勢さえも変容しうる可能性があるということを示しているかと思います。


(4)過去の虐待の記憶から解放されたSさんの例
さて、過去の特定の記憶にとらわれ、そのフィルターを通して今ここの現象が歪んで解釈され、またそれにとらわれたイメージが抱かれ続けるときにどんなことが起こってくるか、もう一人お寺に来られた方を例に挙げてお話してみます。
幼い頃父親や祖母から虐待を受け、自殺未遂の経験もあり、当時も摂食障害に悩んでいたSさんという二十歳前の女性がお寺に来られました。彼女がお寺に来た当初、ちょっと気になったことは、私たち周りの者が海外生活も始めてで勝手のよくわからないでいる彼女に普通にお世話をやく行為ひとつひとつに対して、なぜかそのつど緊張したり、ビクついたりしている様子があることでした。後に、彼女が「とりわけショックな出来事」として思い出した記憶によってその原因が突き止められました。
Mさんは小学校六年生の八月頃から皮膚病を患い、それを境に当時担任だった教師から激しいいじめを受けるようになったそうです。たとえば音楽や図工などの移動教室のときに彼女の席はなく、立ったまま授業を受けさせられたり、差別をされ、「おまえはダメだ!」と蔑まれ続けたそうです。皮膚病は薬を飲んでも治らず、学校に行けないと連絡すると、担任は「それでも来い!」といって無理やり連れて行く。そんな毎日で消耗しきっていたそうです。そんなある日、父親が校長に抗議している場面に担任が居合わせ、その日の担任はSさんにとても優しく、その優しさはどこか気味が悪かったといいます。案の上、翌日にはいつも以上の激しいいじめが待っていたそうです。このときからSさんは、「優しさには必ず裏がある」と思い込むようになり、人の優しい働きかけに対して知らず知らずのうちに不安感を感じ、緊張し、つねに身構えるようになってしまっていたのでした。
私にそのことを指摘され、また、今ここに気づく瞑想訓練に励むうちにSさんはやがて優しさにビクつくこともなくなりました。同時に、それまで頻繁に繰り返していた、「私は昔こういう目にあったから○○できないんです…」といった発言をすることもなくなりました。
「過去に激しい虐待などを受け心理的にいったん傷を負うと、大人になってからもその影響を蒙り続ける」というアダルトチルドレン理論やトラウマ理論といった心理学理論があるのは皆さんもご存知かと思います。この理論の出現により、摂食障害やアルコール中毒、リストカットといった嗜癖傾向の原因をすべて自分に帰して絶えぬ罪責感に苛まれていた人たちがひとつの救いを得たことも確かなのですが、ところがそれがこうじて、「私、昔こういう目にあったから○○できないんです」と、今度はその理論がその人の信念にまでなってしまったとき、その人は過去の奴隷となり、自立の可能性を喪失してしまいます。このような思いにはまってしまっていた方に私自身これまで何人も会ってきました。
そのような方には、気づきの瞑想をしていただくと同時に、たとえば、「これまでにタイ語を習ったことのなかったあなたは確かにこれまでタイ語は話せなかったし、今も話せないかもしれないけど、だからといってこれからも話せないってことはある?」と問うてみたり、ボルテールの「人は誰でも人生が自分に配ったカードを受け入れなくてはならない。しかし一旦、カードを手にしたら、どのようにそれを使ってゲームに勝つかは、各自が一人で決めることだ」といったような言葉を紹介し、今ここに自覚的になることによって、いくらでも人生には選択の可能性が生まれ、過去の奴隷にならずに主体的に生きていけるのだということに気づいていただくようにしています。
このSさんの例においても、過去のとらわれから脱し、人生を主体的に生き始めるにおいて、今ここの気づきというものがとても重要な要素になっていることがわかるでしょう。


(5)心理時間は今の瞬間がすべて

よく観察してみますと、私たちが「過去」や「未来」と称している時間というものは実はすべて今ここの思考作業によって瞬時瞬時に形成される心理的創造物ということなのですね。それは決して自分から離れたどこか別な所にあるわけではないのです。過去の後悔や恨みつらみも、また、未来の心配や不安も、すべて今ここでの心の中のおしゃべりによる創造物です。ですからそれに気づいて今ここでそのおしゃべりを止めれば、その瞬間に後悔や不安も消失します。誰でもが今この瞬間に、どこにも行かずに過去や未来の苦しみを軽減させたり、滅したりできるわけです。
たとえば、「こんな話をしたらみんなに笑われちゃうんじゃないか…」と考えると不安になり、話をする自信もなくなりますが、そう心の中で唱えなかったら不安にはならないし、逆に「みんなに喜んでもらえるだろうな」と考えていたら早く話をしたくなってワクワクもしてくるでしょう。不安になりがちな方というのは、悲劇のラストシーンを描くのがとても上手なんですね。私はそういう方には「悲劇のシーンを描くのもいいけど、それをラストシーンにはしないで、物語の途中の一エピソードにして、ラストは最高のハッピーエンドで終わらせてみたらいいよ」とアドバイスしたりします。ずっと先の未来の物語を紡いでいるようでいても、よくみてみればそれはいつでも今ここでのブツブツという思考的アクションです。そしてこのアクションの選択次第で、私たちは今ここでどんな心理的苦悩を蒙ることもできるし、あるいは幸せを感じることもできるのです。


(6)「傷」も「壁」も「人間関係」もイメージによる創作物

以上、心理的時間に関してお話してまいりましたが、もうひとつ、心理的な空間についてもお話しておきましょう。たとえば先にお話したMさんのケースもSさんのケースも、最初は二人とも、今ここで実際に触れ合っていた現実的な空間よりも、過去における強烈な印象的体験を基に描かれた心理的なイメージによって構成された空間の方により親密に触れ合っていた、あるいは住んでいたということにお気づきでしょうか?それによって彼女たちは他者から与えられるちょっとした親切な働きかけを、否定や抑圧、あるいは策謀として受け取り、拒絶感や不安感に苛まれていたわけです。そしてこれはもちろん彼女たちに限ったことではありません。私たち誰もが日常的にこのようなイメージ空間に親しんでいます。
たとえば、私たちも日常的に「傷ついた!」などと、言ったり耳にしたりしていますよね。ちょっと冷静になって振り返ってみれば、そのイメージを描く数秒前には「傷」も痛みも苦しみもなかったことに気づくでしょうし、よく見てみれば「傷」などというものはこの現実的な空間にはどこにもついてないのに気づく。「壁が立ちはだかっている!」などというのも全く同じですね。こちらもちょっと冷静になって振り返ってみれば、そのイメージを描く数秒前には「壁」は立ちはだかってきていなかったことに気づくだろうし、よく見渡してみれば、そもそも「壁」などというものはこの現実的な空間にはどこにも立ちはだかっていないのに気づく。でも実際、「傷ついた!」というそのイメージの描写と同時に心の痛みや苦しみは確かに生じ、あるいは「壁が立ちはだかっている!」というイメージとともに私たちはその威圧感に圧倒され、その瞬間、本当に動けなくなってしまいます。
試しに皆さんも梅干やゴキブリのことを心に描いてみてください。その瞬間皆さんは心理的なイメージの世界を生き始めます。そしてそのとき自分に何が起こってくるかを観察してみてください。自らが描いたイメージの力が今ここの現実の肉体にも大きく作用してくることにお気づきになるでしょう。このように心的イメージの影響は即時的に作用してきます。そしてそのイメージが人間関係などを含みより豊かになっていくとき、広がりを帯びた主観的なイメージで構成された空間が生まれてきます。
次のような場面を想像してみてください。たとえば誰かに会って、「あの人は爽やかだなー」と感じたとき、その爽やかさという感覚はいったいどこに生じてきたのでしょうか?爽やかさはその人にあって私にはないのでしょうか?どうですか?爽やかさを感じたのは他でもない、ここで感じたのですね。実際、「爽やかだなー」と言っている当の本人の中に生じ、それを自ら感じているのです。だから「爽やかだなー」と言えたのですよね。自分がそう感じられなければ、そうは言わなかったでしょうから。同様に、「嫌なやつ!」などと言っているときも、ちょっと観察してみましょう。嫌悪感はどこに生じているのでしょうか?相手にあって、自分にはないのでしょうか?いいえやはりそれはここに生じています。「嫌なやつ!」と言っている当の本人の中に生じ、感じているのです。だからそう言えたのですよね。自分がそう感じられなければ、当然そうは言わなかったでしょうから。
事実はそのようになっているのですけれど、私たちは肉眼を通して見る物理的な色・形に目を奪われがちで、自分が今この瞬間に創造しているイメージや自らの身体感覚といったものに無頓着ですから、どうしても、「あちらにあって、こちらにはない」、「彼や彼女のことであって、私のことではない」という風に錯覚してしまうのですね。それゆえに私たちは「嫌なやつ、あっち行け!」などと思って相手を突き放そうとし、それで弾き飛ばしたような気になっていますが、よくよく観察してみると、そう思った瞬間にわざわざ嫌いな人を連れてきて、抱きしめてしまっているのですね。
先にあげた上司と不仲になったBさんも、お寺に来られる前はそういうことをし続けていたわけです。まるで寝ても覚めても好きな人の写真を取り出しては繰り返し眺めるように、嫌な上司のイメージを絶えず心に思い描き、そして辛い体験シーンを延々とリピート、リピート…という感じのことをしていたのですね。それはたしかに消耗しますよね。


第3章 苦しみからの解放〜「定」、「念」、「慧」をキーワードに


ここまでで、「悩み苦しみというものがほかの誰彼や何かから、あるいは過去や未来の何らかの具体的事実や体験によって必然的に蒙られるものでは決してない。それは私たちの錯覚や無自覚な心的反応、すなわち思考やイメージによる不適切なアクションによって創造されてくる。もっと簡単に言ってしまえば、人は悩み苦しみを結局自分で作ってしまっている」といったことをだいたいご確認いただけたのではないかと思います。
それではいったい、そのような苦しみのパターンから私たちはいかにして抜け出していけるのか?その方便としてどんなものが具体的にあるか?また、私たち宗教者や癒し手は悩み苦しむ方たちに対してどのような役割を果たしていけるか?そのあたりの話を進めていきたいと思います。


(1)Mさんのその後

先にタイの村で葬儀に参加したMさんのとの取り組みについてお話しましたが、数年後にMさんに日本で再会したとき、彼女はこんな話もしてくれました。
「父の死に関する私の大きな気づきは今、食とつながってきています。食を通じて気づいたことは、作物が育つところから、収穫し、料理し、配膳し、食べ、片付けるといった全体のプロセスが見え、体感することが食事において安らぎと喜びを引き出す大切なポイントだということでした。私が父を亡くしたときは、全体が見えませんでした。行方不明になったときから骨拾いを終えるまで、私には何もできませんでした。わけも分からず、怖れと不安でいっぱいでした。でもタイのお葬式では、料理づくりなど私にもできることがありました。私の居場所もありました。そしてそばに居てくれる姉妹に頼りながら、安心してお葬式の一連のプロセスを体感し、理解することができました。」
周囲の人たちの温かい見守りの下で自分を、他者を、そしてお父さんの死を受容し、理解することによって癒しが促進化されたこのMさん。また、先にご紹介した托鉢の体験をきっかけに、鈍っていた今ここの感覚を蘇らせ、怒りや憎しみといった想念を離れてうつ症状を脱したBさんの解放のプロセスからも、悩める現代人が癒され、解放されていく際にキーポイントになるいくつかの要素を読み取ることができるのではないかと思います。
とりわけ、Mさんがお父さんの死とタイでのその受容のプロセス、そして後に食との関わりを通じて認識するに至った、「安定した気持ちで全体のプロセスを体感的に受容し、理解を深めていく」ということの重要性。これはそっくりそのまま瞑想行の核心でもあり、また、心を癒し、成長させていくために必要とされる重要な要素、すなわち、「定(心の落ち着き・安定)」、「念(気づき・自覚化)」、「慧(智慧・微細なリアリティの認識)」がMさんの中に培われてきた物語だということができるでしょう。そこで次に、苦しみからの解放のプロセスについて「定」、「念」、「慧」をキーワードに話を進めていきたいと思います。


(2)「定:心の落ち着き・安定」
まず、一つ目の「定」。読経や瞑想行など修行を通して心の落ち着きや安定力が養われるということはもちろん確かですが、ここまでのお話の中でとりあげてきた三人のお寺での癒し体験者にとって、苦しみからの解放に向かうことができた最初の大きな要素は、彼らが苦しみに苛まれ続けた環境から離れ、タイという異文化空間へとやってきたことそのものにあったと考えられます。
そして、森の寺という非日常空間に身を置いてシンプルで規則正しい健康的な生活をゆったりと送れたこと。さらに寺の僧侶や在家修行者、また村人たちなど周囲の者たちから温かく優しく見守られながら過ごせたということ。こういった舞台装置がネガティブなイメージと物語に満ち、散乱し、動揺していた彼・彼女らの心に徐々に安定感を取り戻させ、自己刷新のための準備を調わせていく契機になったのではないかと思います。
人が癒されるというプロセスにおいて、特に周囲からの温かい見守りが重要な前提条件になるということ、これは私自身何度も失敗をしながら学んできたことです。相手にまだ受け入れ準備が調っていないうちに、「こうだろう、ああだろう、こうしたらいい、ああしたらいい」などといくら焦って働きかけても、相手の心の中には素直に受け入れてもらえません。悪くいけば「自分の考えが否定されている」と誤解され、ますます防衛的にさせてしまいます。特に自己信頼感の低い方であればなおさらです。いままでおそらく周囲から「おまえはダメだ」、「こうあるべきだ」というようなことを言われ続け、またそのようなメッセージにがんじがらめになり、リラックスできなくなっている方たちが大変多いように感じます。
そんな彼らにとって、特に何かを強制されることもなく、暖かく見守られながらゆったりと過ごすことはとても大事だと思います。それによって心の落ち着きと安定感を得られれば、自分に気づき、自分を見つめていける余裕が持てるようになります。そんな意味で心を病んだ方たちにとって、あるがままをまるごと認め、受け入れてくれる存在に出会うということはとても大切でありましょう。まさにそういう存在となって彼らに触れ合ってさしあげること、これこそ宗教者が果たせる大切な役割のひとつではないかと思います。
また、最近の若者たちの口から漏れてくる言葉に、「人生に手ごたえを感じられないんです…」「生きている実感が乏しくて…」「自分が消えてしまいそうで不安でたまらない…」といったようなものがあります。こういった感覚に彼らがとりつかれてしまう要因として、やはり今日の彼らを取り巻く環境によるところは大きいでしょう。
テクノロジーが発展し、以前のような重労働にたずさわる機会も少なくなり、指一本でスイッチを押すだけ、あるいはただ手をかざすだけでいろんなことができるようになりました。またエアコンなどのお陰で暑さや寒さを如実に感じることも少なくなり、さらには蚊や虫に刺されて痛みや痒みを感じることも少なくなりました。そのような具体的な感覚刺激が軽減される一方で、文字や画像といったイメージ情報はすさまじい勢いで増大し、溢れ、彼らの心の中に怒涛の勢いで流れこんできます。そのような環境に日々身を浸していれば当然、自己感覚や自己存在感といったようなものは希薄になり、先の言葉に如実に示されているような空虚感や不安感といったものに襲われもするでしょう。
これに対して、森など豊かな自然環境に囲まれた静かな空間や、シンプルで簡素な生活様式というものは、言うまでもなく生きる実感を取り戻させてくれる格好の舞台装置です。それは私たち宗教者が有する貴重なリソースであり、また、私たちが彼らに提供できるもののひとつでありましょう。


(3)「念:気づき・自覚化」
次に、二つ目の「念」ですが、実はこの「念」という言葉がくせもので、日本で「念」というと一般的に「念ずる」、すなわち、「こうあってほしい!」と何か特定のことを強く心に思う、願う、祈るというような意味になっていますよね。日本の仏教関係の本を読んでも、「正念」を「正しい思いを持つこと」などと説明されているのが一般的です。ちなみに手持ちの国語辞典には「正念」の説明として、
<仏教語> 正法を思念すること。一心に念仏すること。往生を信じること。
と、記されています。
私自身、瞑想指導のために師僧と共に渡ったアメリカの中国寺で、観音信仰、浄土信仰への実に熱心な信奉、そして念仏が最重要視されている様子を半年間目の当たりにした経験からも、おそらくは中国経由で仏教が伝来するうちに「念」の意味のエッセンスが変化したのではないかと感じていますが、オリジナルのブッダの教えにおいては、「正念」すなわち「サンマー・サティ」とは、「正しく今ここのありのままの心身における現象に気づくこと」とされています。
つまり「念」とは、「思いを持つこと」でも、「信じること」でもなく、それらの思考や思想、信念をも含めた今ここのありのままの心身現象について油断なく気づく作業のことを言います。ちなみに私のお寺では「チャルーン・サティ」(直訳すれば「気づきの開発」)という言葉が頻繁に使われ、気づき・自覚化の訓練を修行の中心に据えています。
ここで改めて「気づきの瞑想」として行う「手動瞑想」の訓練の方法を簡単にご説明しますと、まず姿勢を正して座ります。それから規定の動作で手を動かします。そのときに手の動きや位置を一動作一動作、意識化いたします。これを行っていきますと、どなたでも必ず思考やイメージが生じ、心が今ここにあらずの状態に陥るのですが、そうしたことに気づいたらすぐに意識を手の動きに戻していきます。そしてまた思考やイメージにとらわれていったらできるだけ速やかに手に意識を戻す…と、この作業を続けていくのです。
「なんだそんな簡単なこと?」と思われたかもしれません。しかしやり続けていくと、やがてその効果のほどに驚かされるときが必ずやってくるでしょう。
たとえば日常生活において、いつもだったらちょっとしたイライラがどんどん膨らんでいって恨みつらみにまで発展していたものを、まずは「怒り」を表現したところで気づき、われに帰ることができるようになります。そしてその後のネガティブな物語づくりを止め、怒りから恨みつらみへの延焼を防ぐことができるようになってきます。そしてさらに気づく力がついてくると、今度は「怒り」が表現化されてしまう前段階のブツブツ...と内面で物語作りが始まりだしたところで気づき、「パッ」と意識を取り戻せるようになります。それからさらに「イライラッ」と生じた時点で気づき「パッ」と戻ってそれを手放せるようになり、次第に「イラッ」の時点で「パッ」、「イ」で「パッ」という風になっていきます。
そして、このようなことが実際にある程度可能になり、それができる自分に気づいた瞬間、その人の中で「もう大丈夫だ!」との思いが生じ、自信の芽生えと同時に心は深い安らぎの気持ちに満たされます。やがてその安らぎも一段落すると、「なるほどこういうことだったのか…」との知見も開け、そしてさらなる洞察へと向かっていきます。


(4)「慧:あらゆるものをよき縁となす智恵」
次に「慧」、すなわち智慧ですが、これは日常生活に役に立つ知識一般とは異なったより微細なリアリティの直感的理解や認識です。「念」についての最後の部分で述べた「なるほどこういうことだったのか…」という感じがまさに「慧」の働きによるもので、新たな視界が開け、それまでの認識では解決できなかった問題、とりわけ人間存在の抱える様々な苦悩をブレークスルーすることを可能にします。
あるいはまた、先に述べた心理的時空間に関しても、「慧」が培われて認識が開けてくれば、おのずとこれまで過去の体験や誰か特定の他者に転嫁していた自分の苦悩の本当の出所を知り、またその解決のキーパーソンは他でもない自分自身なのだと自覚化し、みずからに力を取り戻して適切な対処がはかれるようになります。
私はこの智慧を若者たちに説明するときによく「縁」という言葉を用い、「智慧というのは、触れ合うあらゆるものを“よき縁となす”ことだよ」と話し、どんな素材も生かして美味しく栄養のある食事をつくってしまう卓越した料理人にたとえたりします。ここでいう料理の「素材」は、仏教で色・声・香・味・触・法の六境として括られるあらゆる対象物で、先に例として取り上げた雨や他者の言葉など外界からの情報、そして内界に生ずる記憶やイメージにいたるまですべてです。主体的にこれらを受け止め、生かしていける能力が培えれば大部分の悩みは解決されていきます。
ところで、これまでお話してきた智慧の多くはブッダの言葉で「色界」と呼ばれる心理的世界に関する知見がほとんどです。が、実はその奥には「無色界」と称されるより微細なリアリティがあり、その認識により「死」という人間存在の根源的苦悩の解決もはかられていきます。しかし実際のところ、お寺を訪れる方たちの悩み苦しみの多くは、人間関係の葛藤、あるいは自分の性格や生き方に関してのものがほとんどです。そのような彼らにとって「無」や「空」、あるいは「神」といった次元の話は大方ピンとこないし、ともすれば彼らが生々しく直面している現実問題から目を背けさせてしまうことにもなりかねません。
したがってわれわれ宗教者は、独自に自身の宗教性を高めたり極めたりという精進に努める一方、もし現実に悩み苦しむ方のサポートをもはかっていくというのであれば、彼らの世界観や悩みを理解・共感し、それぞれに対応した適切な方便を与える能力を培っていくこともまたとても大切になるのではないかと思います。


第4章「慈悲の実践」〜自らよき縁となること


(1)「慈悲」と「智慧」が仏道の両輪
以上、苦しみからの解放の方途を「定」・「念」・「慧」というキーワードを用いてお話してまいりました。とりわけ「慧」、すなわち「智慧」は「定」や「念」を土台として苦しみからの解放を実現化する仏道修行の核心のひとつです。
この智慧と共に仏道の両輪ともいわれるもうひとつの核心に「慈悲」というものがあります。個における苦悩の終滅と真の幸福の実現化をもたらす「智慧」は、「慈悲」と共に回転し始めたときに、自他を含めた一切衆生の抜苦与楽の実現化に向かう運動となります。
ところでさきほど「智慧」についてのご説明をしたときに「縁」という言葉を用いて、「智慧」とは、「あらゆるものを“よき縁となす”こと」と申し上げました。これに対して、もうひとつの核である「慈悲」についても「縁」という言葉を用いれば、「あらゆるものの“よき縁となる”こと」と言い表せるのではないかと思います。では最後にこの「慈悲」について少し述べさせていただき、今日の私のお話を終えたいと思います。


(2)「慈悲」は共に苦しむことではない

では、「慈悲」をその語源から簡単にご説明いたしましょう。
実はもともとこの「慈悲」という言葉、「慈」と「悲」の二つに分かれておりまして、「慈」はパーリ語の「メッター」で、「衆生を慈しみ、幸せを与えようとする心」、そして「悲」は「カルナー」で、「衆生の悩み苦しみを取り除いてあげようとする心」を言います。
ところが日本では「同悲同苦」というような言葉もありますが、この「悲」という言葉の字面に惑わされて「苦しみ悲しんでいる人と一緒に苦しみ悲しむことが大切だ」という風な誤った解釈をされてしまっている方も多いようです。そのため実際には相手の苦しみに巻き込まれ一緒にあがいていたり、「同病相哀れむ」状態に陥っているに過ぎないのを「これぞ慈悲の実践」、「この苦しみこそ慈悲の証」と信じ込み、無理を押して心を病んだ人との関わりを続け疲労困憊、果てはうつ状態に陥りやむなく私のお寺を頼ってくるといった癒し手や宗教者のケースも何度かありました。
ちなみにこのような方々に「苦しみ悲しんでいる人と一緒に苦しみ悲しむことが大切だ」というような誤解を解いていただくために、わたしの場合、上述したように「悲」をその語源から説明すると同時に、こんな譬え話をしたりしています。
「たとえば海で溺れている人を助けるためには、海岸から高みの見物をしていては救えないよね。まず溺れている人のところまで泳いで行ってあげないといけない。ところで、助けに向かった人が溺れている人のところまで行き着いたはいいけど、そこで一緒に溺れてしまったらどうだろう?やがて力尽き二人とも海の藻屑に・・・ということにもなりかねない。それじゃちょっと困るよね。人を救うというのであれば、溺れている人を速やかに海岸にまで連れ戻してあげることこそが大事だよね。その際救い手には独りで泳げる以上の熟練した泳力が必要だろうし、それから溺れてもがき苦しんでいる人がパニックに陥らずに安心して身を任せていられるよう上手に導いていく力も必要になるだろうね。」
いかがでしょう?この譬え話からイメージしていただけるように、他者を救うために癒し手自身が苦しみの中に溺れる必要は全くないでしょう。むしろ悩み苦しみに一緒にはまり込んでしまっては他者を救うことは難しいのではないでしょうか。Mさんとの取り組みのところでいつの間にか「拒絶する人」の役を引き受けてしまっていた私の体験も少し述べさせていただきましたが、ちょっと油断していると他者を救うつもりが逆に相手の描いたネガティブな物語やイメージの投影を請け負わされるということにもなりかねません。
そんな意味で、「慈悲行」という悩み苦しみに溺れている人の人助けをしていくのにはそれなりのリスクもあり、癒し手はそのリスクを負う覚悟と、また、苦しみに溺れない、巻き込まれないだけの「智慧」という精神的体力を日頃から培っておくことが必要ではないかと思います。
それから譬えの最後の部分で、救い手には「溺れてもがき苦しんでいる人がパニックに陥らずに安心して身を任せていられるよう上手に導いていく力も必要」と述べましたが、これはもちろん、ときにはじっくり相手の話を聴かせてもらったり、ときには叱咤激励したり、相手の気持ちやペースに合わせて柔軟に対応できる方便力というものになりましょう。そしてこれも大切な癒し手の資質でありましょう。

(3)よき縁となることの醍醐味
ところで、方便を用いて相手にふさわしい対応をしたと思ったのにそれがその方に合わなかったり、あるいは相手のために良かれと思ってやったことが裏目に出たり…などということもよくあることです。そのようなときこそ「智慧」をもって「よき縁となす」ですね。相手からいわば「想定外」の反応があったとき、私たちには「!」や「?」が生じますが、まずその「!」をどのように捉えられるかが勝負。そして「?」をどのように展開できるかが私たち癒し手の腕の見せどころです。
実際のところ「!」自体は純粋な驚きに過ぎません。しかし私たち癒し手自身の側に固定化した自己への執着があるとき、相手の想定外の反応に対して自己を揺るがされた感覚が生じ、動揺、怖れ、不安、憤りなどネガティブな感情が沸き起こってきます。一方で、自己にとらわれることなく、相手の想定外の反応に際しても気づきを保ち続けることができれば、自身に生じた驚きをネガティブに発展させずに柔軟に受け止めて新たな発見に喜びをきらめかせ胸躍らせることもできるのです。
そして「?」も同様に元々は純粋な疑問です。これも自分の信念にとらわれていれば、「なんでオマエは!…」というような叱責調となり、イライラ、ムカムカの物語づくりへと発展してしまいます。しかし一方、「?」を正しく洞察として深めていければ、それによって更なる人間理解が進んで心の器は拡がり、私たちの癒しの智慧袋はさらに膨らみを増していくことでしょう。
このように「!」や「?」に際してもよき縁であることができたらすかさずリベンジです。相手の想定外の反応のおかげで智慧袋にいただいた癒しの種を惜しまずに相手の受け取りやすい方便をさらに工夫して再び相手の心に蒔いてさしあげましょう。そのようにしてしっかりと気づきを保ってケアーしていくことができれば、やがてそれは相手の心に根づき、安らぎのイメージとして芽吹き、その方の中で幸せな物語の花が咲きはじめます。笑顔になった相手からそのようなハッピーな物語を聞かせていただくことの愉しいことといったらないですね。これぞよき縁となることの醍醐味とも言えましょう。
私自身、当初三ヶ月の予定で出家したものが今日まで十八年間の長きにわたって僧侶を続けてまいりましたのも、お寺を訪ねられた皆さまとの物語の共同創造の愉しみに魅せられ続けてしまって…というのが本当のところです。
このように、想定外の「!」や「?」に気づきを保って対応するということは、日常生活のあらゆる場面で苦しみをつくらない智恵であり、また一期一会の人との出会いをドラマチックな美しい物語の共同創造の舞台にもしていけます。ぜひともこのことを心に留めて楽しみながら慈悲行に取り組んでいただけたらと思います。

(4)心の時代の平和づくり
さて、今日ここにお集まりの皆さんは宗教対話、そして平和づくりの活動にすでに取り組まれている方が多いかと思います。そこで最後に、個人の苦悩からの救済ということからもう少し視野を広げ、社会的問題の解決や平和運動における心のケアが伴った実践の重要性について少し触れ、心の時代の平和づくりについて私からの提言をさせていただきたいと思います。
かつて日本の開発援助関係の市民グループからの要請があり、タイの開発僧と市民グループの交流会をコーディネートし、対話の時間を持っていただく機会がありました。そのとき市民グループのリーダーの方の表情に濃い苦悩の色が混じっておりましたので、交流会が終わった後少しお話を聞かせていただいたのですが、どうやら父親との間にかなり強い確執があり、激しい憎しみを抱いていらっしゃるご様子が見受けられました。その後全く音信がなかったのですが、二年ぐらいして突然その方の奥様から「夫が精神を壊し病院に入った」旨の手紙が届き、「ああ、やはり・・・」と、二年前のご様子とつながる感じがいたしました。
今日のお話の冒頭で私自身もかつてボランティアやNGO活動に奔走し疲れきってしまった経験があったと述べましたが、わが身を顧みない献身的な活動は確かにすばらしいものであるのですが、自身の心のケアや身近な方との関係性をおざなりにしたあり方にはやはり限界があるように感じます。自身の心の平和があってこその社会的活動でありましょうし、私たち一人ひとりの心に自他への慈しみが満ちた時、おのずと社会問題の解決や平和づくりも進んでいくのではないでしょうか。
一方最近になって、若者の間でも心の平和の大切さが自覚されはじめ、その実践ツールとして瞑想を活用する方の数が確実に増してきているように見受けられます。先に述べた社会を構成する一人ひとりの心の平安が社会問題の根本的解決につながるという観点からも、瞑想というものが志ある若者の間で市民権を得つつある状況は大変喜ばしいことではあるのですが、彼らの瞑想熱にはどこか現実と遊離した自己完結的な感じもなきにしもあらずで、スピリチュアル・アディクション(addiction:嗜癖(しへき))というような言葉も聞かれるようになりましたが、摂食障害、アルコール、ギャンブル、ゲームといった依存症リストに瞑想が加わるだけではちょっと惜しい気がいたします。
このようなことから、これからの時代は智慧と慈悲が調和し連動した平和運動、すなわち「気づきや智慧を通して自身の内面の物語やイメージを理解し、自己との平和的な関係をしっかりと築き、その上で一個人の心の平和に完結してしまうことなく、豊かな対話を通して人々へ愛や慈悲を蒔き広めていく。」きっとそんなスタイルの平和づくりが求められてくるのではないかと思います。
そのような意味で、先人から伝えられた豊かな知見の泉をすでに有する私たち宗教者同士がまずお互いを尊重し、相互理解を深め、そして一致団結して今日の平和づくりを先導していく気概を持っていくこともまた、この「心の時代」に私たちに要請されてきていることではないかと思います。


大変に長くなりましたが、今日お話してまいりました内容が皆さんの今後のご修行に、そして平和づくりのご活動に少しでもご参考になれば幸いです。本日はご清聴どうもありがとうございました。

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